- 2012年7月31日 03:42
- 深夜の手紙
父方の祖父の葬儀を明日に控えた夜。
親父と二人、交替の寝ずの番。
俺が先に番をするのだが、親父が寝る前に ちょっと話をしてた。
つい2週間ほど前、祖父がもう長くないと宣告された後に聞いた話しの続きみたいなもの。
祖父の入院生活が始まる5年ほど前までは同じ家で暮らしていた。
そんなに多く接する機会の無いまま亡くなってしまった、母方の祖父よりは多くの時間を過した。
今の色んなレジャーに手を出す性分は親父譲りだが、中でも体を動かす物を選びがちなのは祖父の影響だと思う。
山や川、自転車の後に乗せて色んな所に連れていってもらったものだが、
祖父がどのように生きてきた人なのかは 全然知らない。
家系
父親の話しでは、ウチはどうやら富山で歯医者をやっていた開業医の家系らしい。
どこまで遡れるのかは分からないが、祖父の祖父の代まではそうであった という事だ。
ウチは母親の実家が富山で、父親が産まれ育ったのは大坂。
しかし父方も遡ると富山という事で、遺伝子的には生粋の富山人である。
物心ついた時から育ったのは京都なので実感は無いが…
そんな富山の医者の家系が何故 大坂、京都へと移り住んできたかなのだが、
祖父の父にあたる人が 家を省みない遊び人だったらしく、財産を使い果たしたらしい。
結果、富山を離れる事になり、そこで祖父の祖母にあたる人と出会い 大坂に住む事になったようだ。
この二人の写真は仏間に飾られているので 顔はよく知っている。
でも、この辺の詳しい経緯は聞いていないので、大叔父に機会があれば聞いてみたい。
祖父ら三兄弟はそれぞれ独立し働いて、家を構えるまで至ったという事で苦労していたんだな と思う、
そしてそれを本人から苦労話しと聞く事もなく、死別してしまった事を 少し残念に思う。
俺は親父に甘やかされている方だと思うし、世間的にも不況不況っつっても昔と比較する程の苦労は何もしてない。
我々が のほほんと平和に生きれるような時代を作ってくれた先祖に感謝せねばな。
結果として、俺は医者の血というより遊び人の血が色濃く出ている気がしないでもないが…
ちなみに母方の祖父母の人生は更に壮絶なもので、何かNHKの朝の連続ドラマ小説とかになりそうな勢いであるが、
その辺の話しはまたいつか書ける時が来るかもしれない。
さて、交替までまだ1時間以上あるが、どうしたものかな…
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