初読ではないのだけど、一月程前に前にヌーに行った週の中頃から読み返し初めて、1週間くらいで読み終わった。
最初に手にとったのは確か2010年の終わりごろ。
カヌー記事の冒頭で"別の機会に..."と書いていたカヌーに興味を持ったきっかけがこの本。
タイトルそのまま、『西の魔女が死んだ』なんかで有名な梨木香歩さんの、水辺にまつわるエッセイ集。
普段 俺がエッセイという物を読む事があまりない。
人の生き方に影響されやすい性分なのと、小説でも漫画でも、作品の裏側にあるディティールを知るのをあまり好ましく思わなかったからだ。
梨木香歩さんのエッセイは先に『春になったら苺を摘みに』を読んでいて、
これは文庫が出た時に小説と間違えて買ったのがきっかけ。
ゆったりとした時間の流れる自然の中で生活してみたいと思うものの、便利なものを当たり前として育ってしまった自分には自然の中で生きる事なんてとうてい無理だと理解している。
そんな中でカヌーは 日常から離れて自然の中に入れる 良いツールなんじゃないかなという期待を持った。
体験してみた結果として、今は買う方向で動いている。
にしても本の話ししてない。
水辺にて
この本は水辺にまつわる話しが詰まった本で、カヌーの話しばかりというわけではないです。
英国に留学されていた経歴もあって、その水辺は日本だけに留まるものでもない。
半分くらいは海外の湖沼や海であると言ってもいいのだけど、どちらかと言うとそちらの話しはヘビーな印象をうける。
著者は水について
水の不思議さは、この上なく透明で清冽でありうるとともに、とんでもなく澱む可能性を併せ持っているということだ。
そしてその両極の世界観を一瞬にして反転させるような「無」すら。タフ、なのだろう、結局。
と語っていて、この本に含まれるお話も その清濁合わせ持ったタフな水 そして人について語られている。
一番好きなのは 『アザラシの娘』というタイトルのモノだろうか。
著者の民話に対しての感覚と、その節の最後に出てくるこの言葉が 強く印象に残る。
with desperate effort
激しく希求する心。 そのための、命がけの努力。
作中に "単に『生きる』以上の何かを必要とする人々" とあるが、人は誰もがそうであると俺は思う。
けれど、それを求める為の命懸けの努力が出来る人はほんの一握り。
才能なんて大仰なものではなく、それは覚悟の問題なのだろう。
著者はそういった覚悟を持った人が好きなのだろうな。
そうゆうものには憧れるが、俺には覚悟も勇気もないのだけど。
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