またちょろ人形持っていくの忘れたけど、先週の土日に廃虚撮影にいってきました。
場所は和歌山県の友ヶ島。
淡路島の東に位置する島で、戦時中にここ通って敵潜水艦等の船が大阪湾に侵入しないようにする為の防衛ラインとして、砲台を中心に軍事施設がいくつか建てられていた。
軍事施設の後が残る小島って言うと、以前行った広島の大久野島に近いよね。
廃虚撮影だけでなく、宿がサイコーに良かったのもあって島で過した時間はすげー楽しかった。
なので、この廃虚記事にまとめるのが偲びないので、宿を中心にした旅自体の記事はまた別途書こうと思う。
旅の記事は別途、という事でさっそく廃虚の紹介からしていこう。
まずは満潮の時刻を鑑みて、友ヶ島の端に位置する虎島へ向かった。
友ヶ島ってのは実は4つの島の総称で、我々が泊まったり活動していたメインの島は『沖の島』という名前だったりする。
この虎島も友ヶ島の1つである。
何故満潮の時刻を気にするかというと。
島へ渡る為の道が完全に崩壊していて、干潮時は渡れるが満潮時は海中に没っしてしまうから。
まぁ真っ先にいった甲斐があって無事渡れた。
帰り際に通った時は大分水位が上がってきていたので、虎島に長居しすぎるとアウトかもしれない。
ある程度ちゃんとした靴で、ちゃんとルートを目で見て考えれば別段渡るのに支障はないと思う。
ただすげーフナムシが大量にいて、虫が苦手な人には心臓に悪いと思う。
(約1名がキャーキャー言うとりました。 まぁ俺も虫嫌いなんだけど。
ここを渡った先にある虎島の砲台には名前がない。
便宜上『虎島堡塁』なんて呼ばれたりしてるみたいだけど、まぁよくわからんね。
砲台は既に爆破・撤去されていて設置していた台しか残ってない。
正直な話し、あまり絵にならないので強い興味がでない、、、
しかし、宿舎的な建物が回りにあって、こっちは大分絵的にキテる。
山側には倉庫的なのが並んでる。
ただ虎島は他の砲台に比べて見に来る人が少ない所為か荒れに荒れている。
ちょっと休憩して写真を撮って回ったあと、回れ右して本島に戻って来た道を戻る。
池の方に寄り道したりしながら、次の第四砲台に向かう。
相変わらず肩掛けできたこげっちゃんはカバンを引っかけて探索に向かった。
この辺はアクセス的にはいいんだが、この時期そこら中に虫がぶら下がってて心臓に悪い。
フナムシはまだ許容できても、ぶらさがってる虫が降ってくるのはキツい。
しかし、かなり絵になる。
さきほどの木造の建物の奥にスロープのように降りていく所があって、その先にこの建物群がある。
周りは木々が生い茂っていて、それでいて構造上光が入ってこず湿度が高い。
降り積もった落葉は長い時を減て腐葉土と化し、水分を吸ってドロになっていた。
まぁすげー歩きづらいし、探検する前提の靴で来ないとウロウロできない。
左の方はただの倉庫のような空間で奥で繋ってる、右は奥が見えないトンネルのようになっている。
天上から水が滴り落ちる。
ビジュアルは人工的な建造物だが、もはや洞窟のようだ、、、
奥に進むと先程左側に溝があり、それに面した形で拾い倉庫のような空間がある。
部屋の横にはだいたいどこも溝があるんだが、この溝なんなんだろうな、、、
そして天上に穴。
朽ちかけた木の蓋で塞がれているのが分かる。
上の通路から何か取りだす必要がある倉庫のような空間なのか、それとも何か閉じこめる為にでもあるんだろうか?
謎は深まるばかりである。
大久野島は中に立ち入るのが困難な場所が多かったが、あちらも内部は同じような構造なんだろうか?
当時の軍関係の建築に関する本とかないものかなぁ。
さて通路に戻ると奥にあるのは階段。
なんか最初にトンネルに足を踏みいれた時は、少しでも前に進むのが怖かったんだけど、奥になにがあるか分かると気にならなくなりますね。
って事で恐る恐る昇った先は二股の通路になっていて、左側は先程の天上の穴があった所で先はよく分からない鬱蒼とした空間。
右側は下記の砲台跡のような空間に繋がる。
さすがにこれは足を踏みいれるのは躊躇われますね。
完全に切取られて時が止まった空間って感じがします。
この跡、上側から回れないかなーと思って、スロープ入口の横を登ってみたんだけど、何か開けた空間があって謎だった。
こちらにも1つ他とは違う感じの砲座跡(?)があったんだけど、それ以上回りは木々に囲まれて装備的に探索できなかった。
周辺をもうちょっと探索してみたい。
この後、一旦宿に戻って休憩した後、まだ動ける元気な面子で第五砲台までいってきた、、、、つもりだったんだけど、、、
その時いったのは第五砲台じゃなかったみたい。
じゃぁ何の為お場所なんだという感じなんだけど、残念ながら観光案内やネットの資料にも何の為の建物なのか載ってなかった。
翌日第三砲台に行く時に本物の第五砲台を見付けて気付いたんだけど、なんだったんだろうね。
まぁその時の写真も載せていく。
最初入った所は何かが建っていた跡、コンクリの基礎しか残っていなくて拍子抜けした。
何ものこってねぇのかよ!っと先に進んでみると。
何かよくわ分からない建物が出てきた。
基礎部分はレンガで作られて今もしっかりしている。
が建物の構造は木造で、入口付近の土間のようになっている所しか構造が残っていなかった。
見た感じ何も残っていない側の部分と、土間側の木造の建屋との境目に特に朽ちた感じがない。
こちらの煉瓦の部分には何があったのか、まったく伺い知れないが、こっちの部分は簡易なテントのような構造だったんだろうか?
謎は尽きない。
前の大久野島の時も行くまでのぞむに任せっぱだったので、何も調べずにいって、廃虚との1つ1つの出会いに驚いていたのだが。
行って出逢うだけで終わらせずに、どういうモノだったのかを更めて調べていきたいなとも思うね。
さて1日目の探索はこれにて終了、砲台はまだまだあるので記事は2つに分けよう。
日記記事も書くから実質3エントリになるのかな。
素晴しい島だし、これからまたちょくちょく行く事になりそうだ。
最後に1日目の写真で、解説には使えないけど個人的に気にいった写真を何枚かペタペタ貼っておく。
ではまた次回。
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