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monado nite見ーてたmonado nite見ーてた

モナドの方への中の人である、monado先生のUst配信、monado niteを見ていました。

第三回 monado nite 「幻想と驚異」

毎度毎度すごい面白いけど、難しかったりよくわからなかったりする所もいっぱいあって、勉強になります。
学校の講義もこんな感じならいいんですけどね。

っても、6時間も講義受ける気力はないですが( ´-`)


俺的に聞きながらとったメモがこちら(テキストファイル)。

メモが600行越えてる時点で、メモじゃないですね( ´-`)


配信は録画されてるので、興味がある方は見てみるのもいいかも。
6時間( ´-`)


1時間目-1 24:02
1時間目-2 46:34

2時間目 56:29

3時間目 62:25

4時間目 78:03

5時間目 56:07

同時進行でIRCのチャットがあって、そことリンクしてるのでソッチが無いとイミフな所もあるかもだけど、さすがにログは晒せない( ´-`)


俺のメモよりも見やすいまとめがisshokuさんの所にあるので、リンク。
monado niteのまとめ(リアルタイム版) - いっしょく-1 color-


メモをブログにまとめようかと思ったけど、600行とかどうでもよくなるレベルですね。
せっかくなので、メモ+アサマシ。

・教養テロ  教養って?

教養ってのは車輪の再発明なんじゃないか

サブ・サブカルチャー的な


・稲垣足穂「弥勒」
 月のイメージが。
 


○スタート

・ブルーノ・ムナーリ「ファンタジア」
イマジネーション
形・視覚的な表象物がCreativity
幻想と脅威


ゴシック小説
・小池滋「ゴシック小説をよむ」
英文学の視点からゴシック小説を語る
なぜゴシック小説がイギリスから生まれたか。


「ゴス」について。
文脈として出てくるゴシックとは。

それを理解していなければつまらない。

文脈として出てくるゴシックはゴシック小説から来ている。
ゴシック小説は『ホレス・ウォルポール「オトラント城奇譚」』から始まる。

舞台はイタリア。 なぜ?

当時のヨーロッパの源流であるイタリアを知る事からイギリス文化が始まる。
「アルプス登山をしてイタリアへ行く」所から勉強が始まる。
 →グランドツアー

・ルネ・ドーマル「類推の山」
http://d.hatena.ne.jp/leibniz/20071109/1194973766
高い山が持つ崇高さ
H・ニコルソン「暗い山と栄光の山」

山を越えた先のイタリアには巨大な遺跡がある。
「ピラネージ」

山の恐ろしさと建築物
ゴシック建築とか見る。

金持ってて土地のある貴族は住みよさではなくて、廃墟のような家を建てだす。
ゴシック建築に影響
 (ゴート人が作った
  本来のゴシックに興味ある人は「ゴシック建築とスコラ学」とかバルトルシャイティス「アベラシオン」
  アナロジー 類比

グランドツアーで得た感覚を追体験する。

その流れの中でウォルポールが小説を書く(まぁ一生遊んでいられるボンボン

「超自然的な力・予言・タブー」ホラーの要素
「どんでん返し、人を驚かす」ミステリー的な要素

ホラーテイスト→ゴシック
ここで結びつく。 原点。


シャイクスピアのマクベスのような、ありえない予言→それを覆す

ホラーとか見たり驚かされるのが楽しい、恐怖が快楽になるのはなぜか。

・エドマンド・バーク「崇高と美と観念の起源」
安全な恐怖の快楽。


崇高美
ウンベルト・エーコ「美の歴史」
http://d.hatena.ne.jp/leibniz/20061210/1165881434

サブライム
プレジャーではなくディライト

高山宏「ふたつの世紀末」


シャーデン・フロイデ. (しゃーでんふろいで Schadenfreude)
シャーデン(危害を加える)・フロイデ(喜び)

単なる快楽ではなく、相対的な快楽。


クロード・ロラン
ピクチャレスク(絵のような)
絵になる 絵の主題としてふさわしい


どーゆーものに我々は崇高美を感じるのか?
・恐ろしく巨大な物、恐ろしく極小な物
・真っ暗な空間、ものすごく明るい場所

フォルマリズム

詩的言語


現代アートで巨大なのがあるけど、あれはけっきょく崇高美だろ と
等身大では意味が無いアート?

ミニチュアも小型化することによるアート、↑の逆みたいな。
これも崇高美

ゴシック小説に話が戻ります。

ウィリアム・ベックフォード「ヴァテック」
富豪の息子でニートばっかり( ´-`)


マシュー・グレゴリー・ルイス「マンク」
 (前回のmonado nite参照
19歳の作家が1週間で書いたらしいよ( ´-`)


ウイリアム・ゴドウィン『ケイレブ・ウイリアムズ』
サスペンス調な社会派ミステリー

フランケン・シュタインのメアリー・シェリーの父


悲哀の怪物
ここへきてゴシック小説は完成した
『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』

・ユルジス・バルトルシャイティス『幻想の中世』


isshoku先生のメモ
http://isshoku.tumblr.com/post/20049685 


悪魔のイメージは?
ダンテの神曲に出てくるサタンのイメージ

東洋のからす天狗みたいなのが、西洋に伝わって悪魔のイメージにつながったとか。
下半身の無い馬の絵とか。
 →馬の絵の書かれたコイン、擦り切れて下半身が消えた。

批判もあるし、どこまでが正しいかわからないが、面白いからいいじゃない( ´-`)
→澁澤龍彦「悪魔の中世」


・ルーサー・リンク「悪魔」
 幻想の中世に対する形で西洋に悪魔の概念は古くからあるというのがこの本
 (悪魔の図像学


-----------休憩---------------
第2部

ゴシック小説がなぜイギリスで生まれたかはお分かりいただけかと。


ゴシック小説がイギリス、イタリア、フランス

ドイツ・フランス ロマン派に影響

アメリカン・ゴシック
→エドガー・アラン・ポーに影響
「ポオ小説全集」
ポーの「アッシャー家の崩壊」がオトラントの正統進化


ホラーの先駆者・SFの先駆者・コメディの先駆者

幻想文学を位置づける上で非常にわかりやすい。
 ポオさえ読んでおけば大丈夫!

トマーゾ・カンパネッラ「太陽の都」
http://d.hatena.ne.jp/leibniz/20050802/1123001980

(トマス・モア「ユートピア」は中央公論社版はよいよー、岩波文庫版はまずいだろー


小説としては別に特記すべきものではないが、著者がなぜそれを書かねばならなかったか。
理想的な社会とは多様性を排除する。
 逸脱者にはディストピアである

カレル・チャペック「ロボット」
・チェコ語で「労働」を意味する単語 robota

ロボットによるユートピア
ロボットに対するユートピア→人間にとってのディストピア

チェペック「山椒魚戦争」
山椒魚は英語。
BASIC ENGLISH


言語戦争とも捕らえられる。

・チェペック「白疫病(白い病気)」

ダニエル・デフォ-「疫病流行記」

スイフト「ガリバー旅行記」

ダニエル・デフォー「ロビンソン・クルーソー」

ガリバー
馬の国の話し

馬と人間が入れ替わっているが、エリート的で馬が気持ち悪い

沼正三「家畜人ヤプー」
SM小説 且つ SF小説( ´-`)
S(M|F)小説
ヤプー 奴隷 日本人
(ちなみにヤフーはガリバー
言語の変化

バーバラ・A・バブコック編「さかさまの世界」
http://d.hatena.ne.jp/leibniz/20070921/1191137180


今の世界がユートピアなら、ひっくりかえった世界がディストピア?
しかしディストピア小説の中にユートピアが見出せる。

デフォーやたら細かい

「疫病流行記」の話し。
極限状態での人間を精緻に描いた作品。

(hazy-moon) 疫病には選民的な部分がある。
monado:むしろ不条理かと

ジョヴァンニ・ボッカチオ「デカメロン」

アルベール・カミュ「ペスト」

ユートピアとは架空の世界
→幻想の世界

サミュエル・バトラー「エレフォン」
Erehwon”(逆から読むとNowhere)
音楽銀行とかよくわからない、めんどくさい話しがいっぱい( ´-`)

華氏451

神の萌える音頭( ´-`)

ヘルツォーク「カスパー・ハウザーの謎」

 「アギーレ」


映画の話ですが、よくわからないのでスルー。

閑話休題
ヴォルテール「カンディード」
「ミクロメガス」「ザディグ」
http://d.hatena.ne.jp/leibniz/20050704/1120490737
日和見主義者ウルトラ楽天的 カンディード


フリクリ話し( ´-`)

すごいご都合主義

なぜか

ライプニッツの予定調和説の否定

ライプニッツ天才話

http://www.amazon.co.jp/dp/B0000AKI9Z/
-----------休憩---------------

ヴォルテールはSFと推理?(聞き逃した
「ミクロメガス」
シリウス星人

「ザディグ」
間違えてしょっぴかれる主人公、
第三章「犬と馬」真犯人の立証
http://www.aozora.gr.jp/cards/000180/card944.html


ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」の序盤の立証手順はザディグをパクってる。
わかってやってるわけですね。


オッカムの剃刀の話

ボルヘス「バベルの図書館」
→白と黒
  漫画に出てくる悪魔と天使の対立みたいな。

シャトレ夫人ことエミリ・ド・ブルテーユ萌え
プリンキピアのフランス語に訳した

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「伝奇集」

コルターサル「石蹴り遊び」


マジック・レアリスム

フリオ・コルタサル「遠い女」

フアン ルルフォ「ペドロ・パラモ」


現実世界とリンクさせたラテンアメリカ的な民話・ほら話的な。


「むちゃくちゃな世界の上でなければ語れない真実」

局所的に魔術的な世界

23:49 (hazy-moon) エレンディラを読んでから百年の孤独読むと良い。

「石蹴り遊び」
 分岐がある。
 元祖ゲームブック
 流水の19ボックスはこれをパクったみたいな感じ

23:52 (hazy-moon) ボルヘスは、晩年口述で小説とか書いてなかったっけ。
23:52 (coyu) 七つの夜とか

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「ボルヘス・オラル」
 言語、書物、時間、そして不死性


探偵小説への言及

ヘラクレイトス"同じ川には二度落ちない。"(同じ場所であっても、水は違う 違う川
 →読書に反復はありえない。

再読する事の意味

テクストではなく、コンテクストに存在する意義
その本の文ではなく、本をなぜ読んでいるか、その背景に意味がある。


本は半分は作者が作るものであり、半分は読者が作るものである。

『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール

アートの場合もピカソの絵をまるパクリした人も
●アーティスト名:マイク ビドロ(Mike Bidlo)●タイトル:「これはピカソではない」(Not Picasso)
http://www.honya.co.jp/contents/mizobe/backnumber/nori000901.html

(reblogみたいなもんかしら?

ボルヘスについて
伝奇集の序文
 数分で語れることを500ページもの長文にする意味はない

「記憶の人、フネス」
アナロジーが効かない
抽象化できない人

「隠れた奇跡」


ボルヘス「不死の人」
「二人の王と二つの迷宮」


"ギリシアの迷宮を知っているが、これは一本の直線だ"
         ――J.L.ボルヘス「死とコンパス」

和泉雅人「迷宮学入門」


00:16 (Kaoru_Asaka) 後宮小説で主人公の女の子が通るトンネルみたい。
酒見 賢一「後宮小説」


00:15 (hazy-moon) ミノタウロスは通過儀礼っぽい

00:17 (ustreamer|24890) イカロスはそこから飛んだ

00:17 (hazy-moon) むーかーしぎりしゃーのいかろーすーはー♪
有名なイカロスの歌は三島作?
『勇気一つを友にして』が作詞作曲された(作詞は片岡輝で作曲は越部信義)
別にイカロスという台の三島作の詩がある。

ミノタウロス神話を題材にした作品
ヴィクトル・ペレーヴィン「恐怖の兜」


「アリアドネの糸」
アリアドネの糸という解

【判断を遅らせる】
レトリック(修辞学)


"全ての推論はア・プリオリに行われる"
A=B B=C よって A=Cならば Bは省略できる

しかし文学においては、そのBにも意味があるよ→レトリック
しかし、ボルヘスはそれすら省略している。


-----------休憩---------------
Kirche「Schwartz Nacht」


・文学って何だ? 文学が持つ力とは?


monadoの文学最強説まで哲学最強やら数学最強があった
そこに入るきっかけとなったのが、ボルヘスでありカフカ

・文学って教養にはいりますか?


教養ってなんだ?
 →大学で単位になればいいよ!

人間の質を高めるものかどうか。

アドルノ"アウシュビッツ以降、詩を書くことは野蛮である。"

スタイナー「脱領域の知性」


文学は既に崩壊している。
(文学がろくでもないモノであることを証明されてしまった


・じゃぁ文学ってなんぞ?
芸術としての文学。

それを語る上でカフカが手がかりになる。

デリダ「カフカ論」


カフカの短編は カフカ自身が理解していないのではないのか?
00:45 (hazy-moon) カフカ、自分の作品全部焼却するように遺言してたな。

「カフカを悩ませたものは、自分のいる状態の根源的な奇妙さだった」。

哲学は論理的な展開が不可欠であり、自分の中で典型していなければ語れない。

文学はそうではない。
カフカの書こうとしたものは、カフカ自身が理解していない漠としたものだった。
カフカは未完の作品が多い。

00:48 (cheebow) 結論を書くのはほんと難しいです

未踏である。


monadoによる「掟の門」朗読タイム
http://mrmts.com/jp/docs/translation/Vor_dem_Gesetz.html


【差延】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AE%E5%BB%B6

掟、人を縛るものへ向う。
しかし男はたどり着かない。


掟の門の評論は、総じて掟の門より長い。
究極な評論は作品自体ではないのか? ならば作品を出せばいいのでは?
本文より長い評論が存在しえる。

01:03 (skashu) 4つの公準的了解事項
01:03 (skashu) 1.ドイツ語のオリジナルが存在する
01:03 (skashu) 2.テクストには作者がいる
01:04 (skashu) 3.「掟の門」は物語を含み、文学に属する
01:08 (skashu) 4.表題はテクスト本体の前におかれる


monadoの解釈(聞き逃したかも( ´-`)
・寝てみる方の夢
 →自分の人生は自分のためにしかない
 →掟も同様である
 →(拘束性がある
 →しかし飛び込まねばならない
 →しかし男は何もしなかった

それぞれの掟の門の解釈。


題名が最初にあってからの作品。
コンテクストによって、受け方が変わる。

---------それぞれの解釈タイム-----------
バッハ:マタイ受難曲


01:17 (myrmecoleon) ああ。掟の門に入るには掟を破らなければいけないのか。

母国語の話し
自身の母国語でない言語で書くことにより、整然とかける。

日本語で理解する事に問題はない。
hazy_moon:外国語はオブジェ的に扱える説。


(この辺の話しは録画見てくれ( ´-`)
(掟の門の事考えてたら 話し聞くの忘れてた。

01:32 (ustreamer|76408) 解釈の幅広さと作品としての素晴らしさは比例する?
エーコ「開かれた作品」

-----------休憩---------------
植松伸夫「封印解放」

5時間目スタート(2時過ぎ


誤読していく。

「幻想と脅威」に立ち戻る


ツヴェタン・トドロフ「幻想文学論序説」

幻想文学はだんだんわかっていく。
しかしカフカはだんだんわからなくなっていく。

・ここへきて一番話したかった本題に入る

ボルヘスの弟子であり師であるカサーレスとの共著

ホルへ・ルイス・ボルヘス&アドルフォ・ビオイ=カサーレス「ブストス=ドメックのクロニクル」


秘密結社

行動規範を共にしたものを秘密結社と呼ぶ?

行動規範を集合として捕らえる。
行動規範を集合として捕らえ、個人のパラメータとすることはよくある。
ではなく、個人が結社のパラメータとして捕らえる。
そして、パラメータ自体に主題をおく。

ホルへ・ルイス・ボルヘス&アドルフォ・ビオイ=カサーレス「ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件」


パロディ 戯作者

殊能将之先生の話し。

アドルフォ・ビオイ=カサーレス「モレルの発明」


現実とホログラフの融合

アドルフォ・ビオイ=カサーレス「脱獄計画」


独房に居ながら脱獄している。
バーチャルリアリティ。

観念に信号を送り、脳をcontrolする。
(ソースは一緒だけどコンパイラを変える事により動作を変える みたいな

感じ方をcontrolする事により現実を変遷させる。


それをホログラフと認識しながら、現実にフィードバックする。

=ファンタジーではないのか?

インターネットは?

日本:夢を見る
中国:夢をする

見るという認識は珍しい。
幻想が視覚と関連する。

アメージング - amazing 人を驚かせる様子をしている様.


新しい物に出会い驚く
(歴史であれ 出会えば新しい 新しく知るもの

グレッグ・イーガンはボルヘスの直系


好奇心で生きている、脅威。


次回予告:ウテナ、忘却の旋律、ぼくらの、ゼーガペイン、lain

エンディング:ルルティア「マグノリアの情景」

ここから買えば、全部monado先生に還元されます( ´-`)


あと宿題にあった「掟の門」の俺的な解釈も載せとく。

誤読しろというか、解釈はそれぞれだっつー話しなので、誰がなんといおうと、俺はこーゆー解釈です( ´-`)

田舎から来た男は掟を目的に門へたどりついた この門は彼だけのモノだった、ならば他の人のための門があるのだろうか。 それならば、掟は共通のものなのか。

人々がたどり着こうともたどり着けない掟
万人に開かれ、そして万人それぞれに門があり門番が居る。

掟とは何か。


誰も入れない門前に居る門番は誰か。
男自身なのではないか。

男は最後まで立ち向かう事が無かった。
自分自身である門番に立ち向かう事は無かった。


もし門を乗り越えて見れば、その先は意外と空虚なものだったりするんだろうか。

門は日常で毎日乗り越えるものではないのか。
男はそこで停滞した。

人は日々門を通り先へ進み、そこでまた門に出会う。
日をすごぜば、新たに力をつけた門番(自分)が更に立ち向かってくると。


構造的には自分的にはそれで腑に落ちるんだけど、じゃぁ掟って何さ。

日常?
共通な日常?


では日常からの逃避だったのか?

わけわかりませんね( ´-`)

男の死によって門は存在意義をなくした?
門が男の作り出した物なら、門自体が消えるのか。

そもそも、停滞した時点で越えられない門に意味は無いのか。


門は無限に続くのではないかという意見もあったけど、俺は門は1つしかないではないかと思うよ。
門を越えれば、そこはまた門の入り口であり、しかし常に新しい門と門番であると。

まぁよくわからん( ´-`)

にしても、縦長いエントリになりました。
横に並べろっつー話しですね( ´-`)

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