- 2013年4月 1日 23:19
- 映画
ともだちとチャットしてて最近みた映画の話しを聞いてたんが、最近 映画館いってないし何か観るかなーという気持になってふらっと行ってきた。
まぁイマジカBSとかでちらほら映画みたりはしてるんだが、映画館行ってみたとかじゃないと blog に書こうかなーってならんね。
ってか『アミル』とか『バビロンの陽光』とか映画館で観たのも書かなくなっていっちゃてるが...
塀の中のジュリアス・シーザー
これ最初ずっと"堀の中"だと思っててSNSとかに書いててちょっと赤っ恥だった。
塀の中という文字通り、これは刑務所でのお話なんだが、映画の出演者が実際に服役している囚人たち。
キャスト&スタッフ | 映画『塀の中のジュリアス・シーザー CESARE DEVE MORIRE』
キャスト一覧のページに犯罪歴と懲役何年かとかが書いてあってウケる。
すでに出所して俳優として活躍してるものもいれば、終身刑として死ぬまで出る事のできない囚人もいる。
その囚人たちが、刑務所内の更生プログラムの一環で演劇演習を行い、客の前で演じるまでのドキュメンタリー映画...だと思って観たんすよ。
囚人たちは本物だし舞台である刑務所も本物、演習も本物なんだけど、それを"映画"として脚本を作って 構成してあるという点で真の意味ではドキュメンタリー映画ではなかった。
真実の中に真実らしく作られた映画というか何というか。
ドキュメンタリーのフリをした作品ってわけじゃなくて、あからさまに現実ではない 映画的 な構成なんだけど、それでも ドキュメンタリーっぽい空気が最後まで生き続けているという。
( ちょっと観てて混乱したw
そしてその構成が面白い。
舞台が改装中で使えない為、所内の様々な場所を利用して練習が行なわれるわけだけど、シーザーの死後 アントニーの演説のシーンなんかは まるでそこがローマであり、演劇に関わってない囚人たちが ローマ市民達であるかのような構図になっていて、真に迫るものがあった。
...しかし、囚人たちにローマ自由民として『自由と開放』を叫ばせるというのも、何とも酷な話しだな。
囚人たちがカメラの前で演じる自分自身が上手すぎて、なんとも最後まで錯覚をし続ける、不思議な映画だった。
とはいえ面白かったが、人に勧める映画って感じでもなかったかな。
その辺は何を映画に求めてるか、かもしれんが 実際に裏切りや殺人を経験している囚人達によって演じられる『ジュリアス・シーザー』そのものは舞台として観たい魅力はあったど、そこに脚本が加えられた上で 役に近づきすぎる葛藤 みたいなのは ちょっと物足なかったというか何というか。
最後、舞台を成功させた囚人たちが房に戻っていく所は 冒頭に同じシーンを見ているにもかかわらず印象が違った。
結局彼ら自由はなく、その房の中の限られた世界が現実であるというのは重い。
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