将棋の駒の町天童、津波被害の傷跡も癒えぬ石巻、そして蔵王。
2日目は渋滞に悩まされた1日で、石巻を見てまわる時間がほとんどなかったのだが、
元々はその後に松島に行く予定を諦めたので、もう少し判断早く松島を諦めていれば、
石巻をもうちょっと回れたのにと思うと残念でならない。
ボランティアで手伝うでもなく、後学の為 自身が肌で感じる為 とはいえ旅行の過程で足をふみいれてるのだし、何か役に立てるわけでもないけど、その分 何か色々と買ったりして ちょっとでもお金おとせればと思ってたんだけど...まぁ募金しよう。
まだまだ支援は必要だ。
将棋の町 天童
天童といえば将棋の町。
昨年、マンガ大賞に輝いた将棋漫画『3月のライオン』にも出てきます。
あと1ヶ月遅くくれば、人間将棋が行なわれる桜祭の時期だったりするのだが、まだ雪が残る3月。
親父は有名な山寺の方に早朝から向かうという事で家族は別行動に。
俺は俺で姉と母上をホテルに残して駅までぶらぶら歩いて町を見つつ、将棋資料館を目指す。
天童はほんとに将棋の町って感じで、そこらに将棋の駒がみられる。
昨日書いた欄干の駒は駅方向にいくにつれて 金将橋、銀将橋、王将橋と続いていく。
ポストに駒が生えてるのには笑ったが、ふと横をみると電柱に詰将棋が書かれていて、信号の待ち時間に皆あたまを捻るんだなぁ といった感じ。
さて、資料館は駅の建物と繋がっている。
展示規模としてはそんなに広くはないんだけど、展示数としてはけっこうな数になるんじゃないかなぁ。
将棋の歴史から初まり天童市の駒作りの展示へと続いていく。
いくつか将棋駒の変わったのは見た事あったけど、こんなに作りや書体に種類があったんだなぁと圧倒されるレベル。
あと歴史のコーナーにあった泰将棋というのがヤバくて
写真を撮れなかったのが心のこりだなぁ。
展示室の外にあった、人間将棋の紙人形は撮らせてもらえた。
この後、合流して上の軽食コーナー 駒 でご飯を食べて、石巻へ。
(天童ならでは みたいな料理はあまりなかった
渋滞、そして石巻
石巻についた。
石巻に行きたいと言ったのは俺の希望だったわけだけど、親父は親父で 石巻で再開した寿司屋に行きたかったらしい。
『鶴瓶の家族に乾杯』でやっていたという事なのだけど、情報があまりにもなかったので とりあえず行ってみるしかなかったのだが、行ったみたら閉まっていた。
日曜だと市場がやってない日だからなのかな。
元々の計画だと石巻は3日目に行く予定だったのだが、途中で計画が変更になったあおりで日曜になっていたのだが、なんとも残念な話しだ。
ただ旅は何でもすんなり行くとは限らないし、心残りがあったのならまた行けばいい。
また行きます。
余談だけど、街中がすげー渋滞してたのも、色々諦めて早々に石巻を経った要因の一つなのだが、
どうやら我々が通った道沿にあった中学校で福山雅治が復興支援のライブを行なっていたのが原因だったようだ。
渋滞の車がボランティアの類の車で、我々は邪魔なんじゃないかと思ったのだが、そういう事でもなかったようだ。
行き先の事前リサーチは大事だね。
飯坂温泉へ
新幹線で帰る姉と仙台で別れて、我々は蔵王へ。
ワンチャンあれば樹氷が見れるかなぁーといった感じでいったのだけど、長くても3月上旬までという事だったので残念ながら見れず。
でも霧氷だけでもかなりのものだと思う。
(まぁその辺は明日。
蔵王といえば蔵王温泉。
宿の温泉はいい所だった。
24時間入れるというのもあって、誰も居なさそうな夜中に写真を撮りにいってみた。
朝にも撮りにいったのだが。
露天までの道に完全に雪が積もっており、写真撮ってる間に凍え死ぬかと思った...
1泊の間に3回も風呂に入ったのは久しぶりだが、強酸性の硫黄泉の為 傷にしみるしみる。
長逗留して、少しずつ1日の入浴回数を増やすようにって書いてたわ...
しかし蔵王も周辺一体emobileが圏外で、なかなかに辛かった...
翌日は蔵王で霧氷何かを見ながらウィンタースポーツに勤しむわけだが、ここからは また次回。
この日の移動距離:265km
宿が二日とも山形なのに、一旦宮城の海岸まで出ていてルートがおかしい( ´-`)
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