一時期ポール・オースターやらサリンジャーやらを数冊続けて読んでいた時期があった。
きっかけは学生の時にうけてたアメリカ文学かなんかの授業。
基礎教養系の授業はあまりまともにうけてる人いなかったけど、小説とか主体になってたので文学系の授業は面白かった。
授業で指定されて買って読んでたのはフォークナーとかカポーティとかなんだけど、その授業の課程で『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』というオースターの短編を取り上げた。
『スモーク』っていう映画の脚本の元となっている作品なので、知ってる人もいるかもしれない。
これは日本では単行本化されてないんだけど、『翻訳夜話』という本の中で村上春樹と柴田元幸がそれぞれ訳していて、原文も比較して読めるという面白い試みの題材となっている感じだった。
この記事を書きはじめながら思い返してみれば、ここが発端なんだなぁと思うと細いきっかけだなと思う。
とはいえしばらく触れなくなってたんだけど、未読の本を古本屋で見かけるととりあえず買うようにして、それがずっと置いてあった。
気がむいて手にとってみた次第。
主人公はブルー。
私立探偵をやっていて、既に引退したブラウンに師事しており、彼の事務所をひきついで仕事についている。
そんな所にホワイトがあらわれて、ブラックの監視を依頼する。
探偵小説の始まりとして、名前の味気なさを除けばそんな変わった所もない。
ただ、冒頭の1文からして大分異質。
まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる。
こんな登場人物紹介から始まる探偵小説は他にはないだろう。
私立探偵が出てくる探偵小説というと、犯人との知的駆け引きのあるミステリか、銃撃アクションのあるハードボイルドものか。
そんな印象があるけど、オースターがそんなステロタイプなものを書くわけがない。
物語はもっと戯曲的で思索的。
でも娯楽の一環としての読書で読む分には、あまりにも娯楽性がない。
まぁそういう読み方すんなっつー話しかもしれんが。
主人公ブルーは自分が依頼された内容について、またブラックについて、ホワイトについて思考を巡らす。
また目の当たりにする様々な事について思索を巡らす。
読み手はそれに影響されて、ブルーとともに考え、ブルーから離れて考える。
思考しながら整理されるかというとそんな事はなくて、どんどん思考の深みにハマっていく感じがあってちょっと好きじゃないが。
まぁ思考する所お含めて面白い作品だと思う。
そういえばもっと身近な作品で、これをパロディー化した本がある。
佐藤友哉の『クリスマス・テロル』。
これをってか佐藤友哉の鏡家サーガシリーズはオースターやサリンジャーの本のパロディが大量にあって、けっこうおもしろい。
(そもそも鏡家サーガシリーズ自体がサリンジャーのグラース家サーガのパロディだしね)
『クリスマス・テロル』は既に読んじゃってるので、逆順になっちゃうけど、あらためて読みなおしてみても面白いかもしれないなぁ。
普段、小説を娯楽の対象としてしか読んでいない身からすると、この手の娯楽性よりも精神性の低い作品はレビューを書きにくい。
それでも俺は娯楽の一環として読んでるんだけど、読み方のスタンスはどうあれ思考させられる本である事に変わりはないよなぁ。
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