先週の土曜日は半年振りくらいのmonado niteがあったりして、批評理論の話とか実験文学の話とか聞いていました。
今回もメモに取ったんだけど、聞いてメモしてた範囲はある程度理解出来てはいるのだけど、IRCチャットも絡んだ会話になると、もはや何の事だか分からない世界になってたりもして、うーん。
まぁそんなこんなで途中、意識を別所に移したりもしてたので、一部聞き逃しがあったりする。
まぁ動画見て補完すればいいのだけど、今6時間もの動画を見て情報を咀嚼する余裕もない( ´-`)
とりあえずメモ書きから出てきた本羅列しておくだけでもしとく。
ちなみに動画はここの下の方のサムネクリックで録画された放送映像を見れる。
monado, Ustream.TV
時系列的には「monado nite 5-1」から「monado nite 5-5」まで。
今回はIRCとの対話が最後の質疑応答までほとんど無いので、普通に映像として見易いのではなかろうか。
メモ書きからの抜粋とはいえ、メモ書き自体に抜けがあるかもしれんので全部書けてないかも。
冒頭はジョルジュ ペレック『冬の旅』の要約の朗読。
(Oulipoの第5集から抜粋
・プラトン『イオン』
・ジャン スタロバンスキー『ソシュールのアナグラム』
・花輪 光『詩の記号学のために』
・ノースロップ フライ『批評の解剖』
//休憩 BGM:Affinity「Night Flight」
・廣野 由美子『批評理論入門』
・田辺保『文芸批評を学ぶ人のために』
>デイヴィッド ロッジ『小説の技巧』の要約版
>・佐藤亜紀『小説のストラテジー』の話も出たり
・ルネ ウェレック
・オースティン ウォーレン
・土田 知則『間テクスト性の戦略』
・土田 知則『現代文学理論』
・ハロルド ブルーム『カバラーと批評』
☆monado一押し:絶版だけど古書検索3件ヒットした(1500~
・ギルバート アデア『作者の死』
ここで批評の話 一旦まとめ
作品を評価しているのか、文脈(作者だとか読者だとか時代だとか)を含むのかテキストだけを見るというのは現実には不可能だ
我々は文脈を受けいれなければならないが、それをどこまで受けいれるのか
全て受けいれるのか?そこを考えるのが批評理論の根本なのではないか。
内向きの批評と外向きの批評
まとわり付く文脈を削ぎ落とす方向か、文脈を取り込む方向か。
・ケネス バーグ『文学形式の哲学』
//休憩 BGM:シュラ ―肉体星座αψζ星雲―
ではここからライティングの方に
・レーモン クノー『百兆の詩篇』
Oulipoより
>スイフト『ガリバー旅行記』 詩を生む機械の話
・J.L.ボルヘス『バベルの図書館』
・イタロ カルビーノ『見えない都市』
eを使わない小説 『失踪』(原題:disparition)
(フランス語はeが多いのだけど、それを使わないで小説を書く
←筒井康隆『本の森の狩人』を読んでから読むとよい
・ダニエル デフォー『疫病流行記』
・イタロ カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』
・イタロ カルヴィーノ『宿命の交わる城』
Oulipo・実験文学 一旦まとめ
実験的な文学は文学的にどーゆー価値が?
エンタテイメントとして消費出来るの?面倒な書き方をする意味なんて無いじゃないか。
ポテンシャル
可能性の探求
『テクスト化された事が無い』がというのが重要実験文学の価値というのは真のオリジナリティ
小説とは頭の中にあるものを書くのだけど、頭の中にあるものを書いてる分けではない
考えてるものを書いて、それをさらに読む
最初の読者である作者が読むまで分からない頭の中で完結していれば書かなくても読めてしまうが
一度表出しないと受容出来ない(脳科学的に証明されてる)小説に限らないが、脳の表現する回路と受容する回路は別
書いてみないと分からない
ネタ的には一発ネタでもやってみたらどうなんだ?
やってみたら面白い? つまらなかった?潜在的なのがある事は分かっている、それを出してみたらどうなんだってのを実証したのがペレック
『読む側としては面白ければいいのだが、実際やってみないと面白いかわからない』
//休憩BGM コロゼー?
・レーモン ルーセル『アフリカの印象』
・レーモン ルーセル『ロクス・ソルス』
・レーモン ルーセル『夜想』
・ジェイムズ ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』
・プルースト
・B S ジョンソン『トロール』
・B S ジョンソン『老人ホーム』
・マーク Z ダニエレブスキー『紙葉の家』☆
// 休憩: 「子供の歌」「演劇起源アラベスク」「目覚めよ内在、わたし」
・ボルヘス/カサーレス『ブストス=ドメックのクロニクル』
・小栗虫太郎『小栗虫太郎集』
まとめ
何故ありとあらゆる手法で小説を書かねばならないのか。
何故尽さねばならないのか。
何故円環せねばらないのか。
何故百科全書を目指すのか。原型とは神話ではなくて百科全書ではないのか。
失われた断片を求めて小説家は小説を書いている。
Oulipoが求めたポテンシャルというものも、失われたものの断片だったのかもしれない。批評理論はその欠けてるものを浮び上らせる。
社会学的な批評理論が無意味なのはそこ。
世界とかどうでもいい、自分の小説における世界に欠けたものは何か。
批評は本来、小説の後にくるもの
しかし完璧な世界の小説家には小説の前に批評がくる
批評が前提として存在する
前提として存在する批評に対して小説を書く事で輪を閉じる
結論:『小説家は常に百科全書に憧れる』
今回は新しくAmazonについたアソシエイトバー使ったので俺のアフィのまんまですが、本の名前をクリックするとモナドの方への検索結果に飛ぶのでそこから買うと良いですね。
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