二ヶ月ぶりのmonado niteです。
前回のエントリは以下。
(IEとかOperaならいいけどFireFoxだと落ちる可能性のある恐怖のブラクラエントリ
monado nite見ーてた
今までの文字文化の起こりやら古典小説、ゴシック小説等の話しとがらっとかわって、今回の題材はアニメ/漫画/ゲームでした。
より身近と思いきや、むしろ今までよりも必要知識が多くて遠い話題も多かった。
なので今回はほとんど『ゲーム』の事しかまとめません。
とりあえず時間割と動画
(動画は各作品のネタバレを含むので見る場合は注意しましょう
(あと動画配信時はIRCチャットとリンクしているので、動画見るだけだと不可解な所があるかもね
1時間目 ウテナ 登場人物紹介(途中から)と1クール目の解説 35分
2時間目 ウテナ 2,3クール目の解説 1時間50分
3時間目 漫画 1時間12分
4時間目 アニメ 37分
5時間目 ゲーム 55分
6時間目 まとめ(のはずがgdgdゲームトーク) 37分
さてまずウテナ周りです、ここだけで300行近いメモがあるわけですが、今回はこの辺は公開しません( できません)
チャットとの絡みも比較的少ないので動画見ればわかります。
主題としては構築された世界からの逸脱、脱構築、世界の果て。
世界を革命する。
3~4時間目のアニメや漫画の話しについては、作品的に見て無いモノが多かったので聞いててもわからないのが大半だったりして、あまりちゃんと聞いてないです( ´-`)
主に「なるたる」「ぼくらの」「the mooon」「忘却の旋律」「アルジュナ」「コードギアス」「デジモン」「lain」「電脳コイル」「ゼーガペイン」が話題に上がった。
・アニメの批評の問題とか。
漫画批評が割りと発達しているのは読みやすいからだ、と。
作品を見るのに時間がかかる。
平均2クールとしても1作品10時間かかるわけで、3~4クールとかになるとカラマーゾフの兄弟とか読めるぜ。
倍速再生派とか同時再生派とか居るらしい。
ジョジョ全巻は読めるけど、ジョジョ全部がアニメ化してたらそうそう見れない。
略
こっから5,6時間目のゲームの話し。
最初はFalcomトークがベース。
改行除いて220行ほどの聞きながらメモ。
さらに批評が難しい。
ゲームはどこまでやればやった事になるのかはっきりしない。
1回EDを見ればいいのか?全ルート?やりこみは?
ゲームがもっとも売れていた時期。
ある一部の人しかやらないものになりつつある。
誰でもクリアできるようになっている。
昔のゲームはクリアできなかった。
最近出たザナドゥはクリアできるけど、昔はわけのわからないバランスもクソもねぇ感じだった。当時オタクしかやらなかった。
オタクしかやらないとゲームはどんどん専門化していく。
どんどん難しくなり、クリアできる人間は特別な人間なんだ、というゲームが作られていく。そこから現代のクリアできるゲームの転換点になったゲームが「イース」であった。
ゲームの楽しみは万人のものである。その後誰でもクリアできて楽しめるゲームが増えてきた。
→その後ドラクエ、FFなどが出てくる
イース以降はDQやFFなんかは"皆がやっているゲーム"になった。
「ジャンプ読んでないと話しができない」「TV見てないと話題に載れない」みたいな強力なメディア。
しかしその後5年くらいしてその位置は崩壊する。ゲームが共通言語としてなりたたなくなっている。
"皆がやっているゲーム"といえるものがなくなってきた。
ここで定義。
何をもってゲームとするのか。
昔の難易度の高すぎるゲームは果たしてゲームなのか?今日話すゲームの定義
コンピュータゲーム。「エロゲとかのノベル系・ビジュアルノベル/サウンドノベル・オンラインゲーム」はゲームではない。
ビジュアルノベルの類は小説の延長、オンラインゲームはコミュニケーションツール。
メディアそのものであって、そっちが主軸。ここで定義したいのは一人でプレイするものとして定義。
ゲームは批評の場に晒さる事が少ないために、批評するための言葉の定義もなされていない。
批評家達はもっとゲームを批評すべきではあるが、すでにゲームが社会学的に影響力のあるメディアではなくなってきている。・対戦ゲーム
「対戦ゲームにクソゲーなし」
対人ゲームは結局の所ゲームの枠組みを利用したコミュニケーションツール。・チェスや将棋(二人零和有限確定完全情報ゲーム)
完全情報型のゼロサムゲームの類は究極的に言えばゲームですらない。
結果として先手必勝か先手引き分けにしかならない。
「神はチェスをしない」
なぜなら先手後手を決めた時点で勝敗が決まっているから。
ゲームの一般定義とは乖離しているが、今回話す"ゲーム"はそういう定義だとして聞く。
今回話したいのはRPGの話し
RPGが流行ったというのは、今の文化現象に影響を与えている。
いわゆるセカイ系はRPGを元にしている。
セカイ系(「きみとぼく」の"きみ"の居ないセカイ系RPGの主人公は若年層。
複雑化していくシナリオ。RPGをプレイすることによるある種の万能感を得る。
一介の主人公が世界を救う。そういう文脈から育っているからセカイ系に直結する。
魔王を倒す、飽き足らず神を倒す。
神をバラバラにしてきた世代、20代後半。いつからかラスボス=神の構図が確定してきた。
まさにセカイ系
今のゲームはどんどんミニゲーム化している。
そーゆー意味ではゲームの本質に近づいている。
すさまじいゲームの影響力。
上記の世代にとって、ゲームとはビルドゥングスロマンだった。
【Bildungsroman(独)】→教養小説小説の代わりとして左様していた。
神話→ビルドゥングスロマン→私小説かつてのクリア出来ないゲームは神話そのものだったんじゃないのか。
きわめて不可避な万人を跳ね除けるような同一化しずらいゲームとして作られていた。→神話
それが成長ロマン、ビルドゥングスロマンの形に。そしてその後、キャラクターというものが確立してしまった。
ゲームがミニゲーム化・キャラクター化することにより、ゲームを進める・ゲームをクリアするという観念が極めて希薄になってきた。
快楽を無限に繰り返すという形。
ビルドゥングスロマン的なモノを必要としないきわめて快楽的なものになっている。FF4~6、DQ5辺りがその頂点だった。
(ここでDQ5のインパクトとして"モンスターが仲間になる"ってのが上げられてるけど、むしろ主人公が勇者ではないという構図とかはどうなんだろう?monadoの体験。
ゲームをしなくなる。ゲームは製作者が居る。
その枠組みのなかで遊ぶのがゲームの本質。
「ここをこうやってこうゆうふうに遊ぶと、こんだけ面白いでしょ」っていうのがゲームの本質といえば本質なのかもしれい。しかし製作者の枠組みの中で遊ぶというのはクリエイティブじゃないんじゃないか。
所詮用意されたものを遊ぶだけじゃないか。間を空けて「やりこみ」との出会い。
FF5 神の悪戯レベルのバランス
参考:http://fieldofdreams.happy.nu/ゲームデザインのレベルではない。
FF5のすごい所はボスが経験値を持っていないので、レベルがあがらないため奇跡的なやりこみが出来る。
低レベルクリア以外にもやりこみがいっぱりあるが、それはすでにゲームデザインの範囲ではない。
やりこむ行為とは何なのか。
決められた範囲で遊べというのを逸脱する。元々のシステムがよく出来ているのを前提としている。
宮台真司「計算不可能性を設計する」
あらゆるシステムの設計は予測可能を前提として設計する。
実際に運用するにあたって生きてくるのは計算可能な部分だけではない。そこから漏れてしまったもの、もしくは意図せず設計されてしまった所というものをエンドユーザーが楽しむ。
その意図せず作られたものがどれだけ多いか。
FF5はその最たる例かもしれない。設計者が意図しない所まで遊ぶという行為は何なのか?
批評理論的に言うと作者が書かなかった所を作者以上に読む。
ハイデガー「我々はプラトン以上にプラトンを知っている」意図しなかったバグに基づく所も多い。
バグを見つけ出しバグを楽しむ。中沢新一「雪片曲線論」に収められている「ゲームフリークはバグと戯れる」という論文。
→ゼビウスのやりこみについて論じられている。
これこそがゲームの本質なんじゃないか。
ゲームに人間の文化的な意味があるなら、設計者の意図以上のモノを発見していくクリエイティブな作業にゲームの本質があるんじゃないか。文化を加速させている。
世界とは未定義である。 世界の果てなんて存在しない。ゲームデザインはゲームの世界を作っていく
その世界そのものを破壊しながらも、ゲームそのものを遊ぶ。
これこそが世界を革命する行為そのものだ。
ゲームというものはゲーム以上のものになる可能性を秘めている。
ゲームがミニゲーム化してくればそーゆーものはなくなってくるし、それこそ設計がきちんとしてしまえばその可能性はなくなる。
設計に遊びが必要。設計は綿密にする必要があるが、遊びまで設計する必要がある。
自由度を束縛すればするほどバグは潰せるわけだから。
発売されたから10年後に発見されるやりこみ。今はゲームってのは消費財になりつつある。
昔のゲームをリバイバルする事には、ゲームそのものに普遍的な価値がある事を証明しているのでは。
ゲームとは普遍的な価値を持っていて、いつやってもいいんだ。
今FCを引っ張り出してきて、DQ3をやったって楽しいんだよ。
・シューティングゲームの話し
シューティングゲームってなんなんだろうね。YoutubeにフランスのTV局が作った、日本におけるシューティングゲームの歴史番組がある。
YouTube - History of shooting game
part1 of 3
part2 of 3
part3 of 3
単純な所から始まって弾幕が飛び交う恐ろしいゲームに。
弾幕って何なんだ?弾幕シューティングの現象学的分析なんて誰もやってないだろうけど、、、
東方なんかは弾幕をスペルカードに置き換える事により、弾幕というものに名づけをしたかったんだ。
弾幕といものがメディアアートになりうる。シューティングゲームはもうアートとか禅とかの域に入りつつあるんじゃないか。
それでいてゲームとして快楽を与える装置として機能している。現代アートの食べるアートとか、食べてなくなった所で完成するというのと同様、弾幕というのは現代アートではないのか。
ある種の変化する迷宮の中で、壁に触れないというルールのもと進む行為と弾幕の美しさがよくわからないレベルで結びついている。ある時期から急激にやりこみが進んでいる。
弾幕もそうだしかすりなんかもそう。もっとシューティングを大きなスケールで誰かに語ってほしい。
・英雄伝説の話ビルディングスロマンを前提として言うと、3~5がピークだった。
特に3がビルディングスロマンとしてはよく出来ていた。ストーリー的に良く出来ている。
→シナリオが良く出来てるRPGならビジュアルノベルや小説にすればいいじゃないか。そこにRPG的な戦闘を挟み込みインパクトを考慮する必要がある。
戦闘を経るわかりやすい成長を含むことによってビルディングスロマンとして機能している。イベント・ストーリーを追う事による一体化と、自身が操作することよって得られる経験としての一体化の違い。
ゲームを通して成長物語を理解した最初で、そして最後の世代かもしれない。そーゆー事を語れる世代というのが短くて5年、長く見積もっても10年のジェネレーションの範囲でしか存在していないので、誰かがまとめておかないと文化として費える可能性がある。
それをなんとかする必要性があるかはわからないが
100年先にホログラフのゲームが普通になっていても、そこであえてファミコンをやるようなオカルト的な行為が行われうるんじゃないか。
ゲームといえばこれだよねーみたいな。
リアルになればなるほどゲームではなくなってきている。人間はゲームする生き物だ、とかそーゆー話しだと
ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」
とか
ロジェ・カイヨワによる遊びの分類
「アゴーン(競争) アレア(賭け) ミミクリー(擬態) イリンクス(眩暈)」
とかがある。それ以降、遊びが格段に複雑化しているにも関わらず、それを分析する用語がない、あるいは名著がない。
一般的なものがない。
東浩紀がゲーム的リアリズムという場合のゲームってなんだ?
ゲームを真剣に論議してる人が居ない。
東浩紀の言うゲームがノベルゲーなら、それは本質的にはゲームじゃないんじゃないか。
ノベルゲーを論議するのは発展性がない。
RPGやシューティング、今潰えうとしているメディアを議論すべきではないのか。
遊びの分類の補遺として書かれた「遊びと人間」(ロゼ・カイヨワ)
インベーダーの論文もあるが、面白くないし的確でもない。
ノベルゲーは読むことにより快楽を得る。
ゲームってのは物語を理解する上でのゲームシステムというのろ論議する必要がある。これだけ一世風靡したゲームなのに、全然論議されていない。
・ゲーム音楽
ゲームというのはゲーム音楽とは切っては切れないと思う。
それについても語る必要がある。monadoがFF派になったのは、すぎやまこういちよりも植松伸夫の方があっているのが原因なのかもしれない。
プログレの影響。休憩(音楽:エマーソン・レイク&パーマー「タルカス」
---------------------------ノベルゲーにゲーム性はあるのか。
ノベルゲーがゲームとしてインパクト与える部分がわからない。選択肢以外の以外のゲーム性とはなんだ。
RPGも選択肢の連続だと考えればノベルゲーと同じもの?ノベルゲーは総当りで全部やることを想定すると一冊の本に展開できるじゃないか。
ゲームが持ってるゲーム性ってのはなんだろう。
最終的には己との戦いみたいになる。やりこみで言えば、わざわざやらなくてもいいことをやっている。
普通のRPGにせよ、レベルを上げてしまえばクリアできるわけだけど、それを結局どれだけ低いレベルのままプレイできるのか、
どれだけ高いハードルを超えていくのか?という所のゲーム性そこまでいってしまうと一種のパズルになってしまう?
ただパズルと言い切れない部分がある、それを論議する必要がある。>じゃぁクリアレベル以上でのプレイはゲーム性を失わせるのか?
用意されたゲーム性は存在する。
ノベルゲーは計算不可能性が(ほぼ)無い
あるとしてもそれは小説の計算不可能性に近いそれはゲームにおける計算不可能性ではない。
ゲームというシステム上においては計算不可能性が入り込む余地がない。読みを間違えた結果死ぬというのは、コースAコースBとして展開してつなげてしまえば小説として可能である。
分岐というのをコンピュータによってわかりづらく実装している。石蹴り遊び
→前回のmonado nite参照確実に大作ゲーは減っていく傾向にあるし、ゲームという快楽がなりたたなくなってくるのかもしれないね。
ノベルゲーは小説を書くことの代償行為ではないのか?
ゲームという形を借りないとテキストが読まれない、という事じゃないのか。俺達はページをめくる代わりにスペースキーを叩きたいんだ。
圧倒的なテキスト量を叩き込める。大きく2つに分岐するだけの物語であれ、「正しいルート」というのが存在しなければそれは成り立たないんじゃないか。
小説としておかしいんじゃないか。
ゲームというのは多様化している一概には語れない。
小説だってジャンルが色々あって、「俺は○○小説の専門家です」ってのが居るんだから「俺はシューティングゲームの専門家です」っていう分析家が居てもいいじゃないのか。ゲームをゲームという形でまとめてしまうと矮小したものになってしまう。
monadoは正しい解を一つであると考える。
完全なストーリーがあって、その周りに他の分岐があるのであれば、その分岐は必要性が無い。例えばこっちの分岐に通っていないと次のプレイでこちらの分岐にいけるというゲームとか
それはすでにフラグ化していて分岐ではない。
一つのストーリーとして組み込み可能である。いらない分岐であれば、それは完全なストーリーから除外されるだろうし、完全なストーリーに従するものであれば、それは完全なストーリーに組み込まれるべきである。
そーゆー意味で選択するというプレイヤーのアクションを考慮する事に意味がない気がしている。
(ここでタクティクスオウガの分岐はどうなのかと出してみたけど、未プレイだったようで発展せず。
分岐とは両方やってしまうと分岐ではなくなってしまう。
ゲームの分岐は基本的に両方やれる。
人生の分岐は両方やれない。
それが運命なのかわからないが。
「平行世界を両方見れるのがゲーム」
ゲームじゃないと実装できないというものがあるなら、それはゲームの本質といえる。
そうではなく別のもっと単純なメディアで出来てしまうならば、それは本質とはいえない。
究極的な本質の所まで落とし込んだ所にゲーム性というのが立ち上がってくるんじゃないのか。現状はマーケットの広さによって展開するメディアが違うだけ?
(じゃぁ漫画と小説、漫画とアニメ、小説とアニメにおける、各々の本質ってなんだろう?
やりこみはゲームをクリエイティブに破壊する
この後劇場版ウテナの話とか諸星大二郎「流砂」の話とかカフカ「城」の話しとか。
"ストレンジャー"
"非ファミリアライゼーション"
そして全体のまとめ
昔の人は小説で育ってきた。ぼくらはゲーム・漫画・アニメで育ってきた。
それがスタンダード、アクチュアリティーを持ってる。それが逆に言えば小説みたいな古典的なものが現実的な意味のエネルギーを失っている事を示唆している。
ぼくらはアニメ・漫画・ゲームを受容している。ウテナを取り上げたのは、その既存の「たかだかアニメである」という概念を超えようとしたアニメだ。
ゲームを超えようとしたのが、ゲームをやりこむ連中だ。ゲームやアニメ、漫画というメディアのフレームがあるが、それをクリエイティブに破壊する事を出来る。
まだ可能性は残されている。我々はそーゆー所にコミットしていかなければならないし、我々は物語を消費するのではなく、クリエイティブな形で租借する必要がある。
そーゆー意味でウテナは非常にいい物語なので、皆さんウテナを見る必要があります。
Be creative!
セル画で欠かれた世界が全てじゃない、それをクリエイティブに破壊する。
そして、世界の枠組みをもっと広げていこう。世界は誰も定義していない、世界はおまえ自身だ。
おまえ自身が変われば世界は変わる。Be creative!
Be revolution!お疲れ様でした。
今回もとても楽しかった。
ゲームの話しがもっと聞きたいね。
アニメと漫画に押された感があるしなぁ。
それはそうと「言おうと思っててすっかり忘れてた事」っていくつあったんだろう( ´-`)
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Comments:3
椎名みかん | 返信
タルカスとか出てきたのかw
しかしマメねペンギンさん
のぞむ | 返信
ほー・・・なかなか読んでて興味深かった
後でもう一回読み直してみようと思う
あ、そういえば大乱闘もうちょいや!
tyoro | 返信
@椎名みかん
IRCチャットのsendさんも絡めてプログレの話しになったのさヽ|'◇'|ノ
局所的にマメだったり、適当だったりするよー。
@のぞむ
大乱闘でるね!!
楽しみにしてるけど予約してないから辛い>、<